【戦国武将】落武者狩りとは?わかりやすく解説!
こんにちは!
突然ですが、落武者(おちむしゃ)と聞くとどんなイメージがありますか?
戦に敗れた武将のことを落ち武者と呼んだりしますが、オバケのモチーフにされることも多く、なんとなく怖いイメージを持つ方もいるかと思います。
日本の各地で戦が行われていた戦国時代では、そんな落ち武者を襲う『落ち武者狩り』が多く見られました。
ここでは、落ち武者とはどのような人を指すのか、また、落ち武者狩りとはどのようなものなのか、わかりやすくまとめていきます!
落ち武者って何?
落ち武者の定義は実は複数あります。
最もイメージしやすいのが、『戦に敗れはしたが、命からがら逃げ出した武将』を指すパターン。
その他にも、権力を失い失脚した公家(国の役人)のことを落ち武者と呼ぶこともあります。
失脚した公家に関しては、正確には『武者』ではありませんが、『戦や政治闘争に敗れ失脚した人』のことを落ち武者と呼ぶ場合もあります。
戦に敗れた武将をはじめ、失脚した者を『落ち武者』と呼ぶ
落ち武者狩りとは?
落ち武者は、一般的に戦に敗れた等の理由から命を追われている場合が多いため、山奥や農村などに身を隠す場合が多いです。
そうして逃げ出し、山奥に逃げ込んだ落ち武者たちを襲うのが『落ち武者狩り』なのです。
『落ち武者狩り』とは命からがら逃げ出した落ち武者を襲う行為
では、誰が何の目的で落ち武者を襲うのでしょうか?
誰が何のために落ち武者を襲うのか
『落ち武者』とされるのは元々権力を持っている身分の高い武士や公家であることが多く、戦に負けたとしても農民などには当てはまりません。
また、身分の高い武士が身につけている鎧兜(よろいかぶと)や刀は非常に価値の高いものです。
そのため、落ち武者となった武士らの装備や金品を狙った百姓や農民が落ち武者狩りを行うのです。
落ち武者の装備や金品を狙った百姓らが落ち武者狩りを行う
また、金品を奪う目的だけでなく、村の自衛という目的もあったとされています。
「落ち武者などの敗者は法の保護から外れる」「村の治安は自分たちで守る」といった戦国時代特有の考え方によって『落ち武者狩り』は行われていたようですね。
中世から根付いたこれらの思考による『落ち武者狩り』は豊臣秀吉が慣行した『惣無事令(そうぶじれい)』によって消滅していきました。
やはり、落ち武者狩りは戦国時代ならではのものだったようです。
落ち武者狩りは、豊臣秀吉が発した『惣無事令』によりなくなっていった
落ち武者狩りによって最期を遂げた武将
多くの武将が落ち武者狩りによって最期を遂げていますが、中でも有名なのが、2020年NHK大河ドラマの主人公でもある明智光秀ではないでしょうか。
本能寺の変にて織田信長を討った後、山崎の地で羽柴秀吉(豊臣秀吉)を迎えて行われた天王山の戦い。
この戦いに敗れた明智光秀は命からがら京都の山奥へと逃れます。
しかし、小栗栖(おぐりす)の地で落ち武者狩りに遭い、命を落としてしまいました。
明智光秀は天王山の戦い(山崎の戦い)に敗れ、落ち武者狩りで命を落とす
明智光秀が落ち武者狩りによって命を落としたとされる場所には、今も『明智藪』の石碑が建っています。
明智光秀の最期については諸説ありますが、この小栗栖の地で光秀の最期を想像するのも歴史の楽しみ方の一つかもしれません。
まとめ
- 戦に敗れた武将をはじめ、失脚した者を『落ち武者』と呼ぶ
- 『落ち武者狩り』とは命からがら逃げ出した落ち武者を襲う行為
- 落ち武者の装備や金品を狙った百姓らが落ち武者狩りを行う
- 落ち武者狩りは、豊臣秀吉が発した『惣無事令』によりなくなっていった
- 明智光秀は天王山の戦い(山崎の戦い)に敗れ、落ち武者狩りで命を落とす
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