武家諸法度と禁中並公家諸法度の違いって?
こんにちは!
江戸時代に入り、江戸幕府を治めた徳川家康。
家康はおよそ300年続いた江戸幕府の基礎を作ったわけですが、それはどのようなものだったのでしょうか?
ここでは、江戸時代初期に出された法令の中でも有名な『武家諸法度』と『禁中並公家諸法度』の内容やこれらの違いについてわかりやすく解説していきます!
武家諸法度とは
武家諸法度(ぶけしょはっと)とは、大名に対してのルールが明記されたものです。
具体的には、大名が許可なく新しいお城を作ることや、許可なく結婚することを禁じていました。
このように、大名の動きを封じ、把握することで、自らに逆らおうとする力をあらかじめ封じてしまったのです。
武家諸法度は大名に対してのルール
さらに、この武家諸法度が出される前の月には『一国一城令』という法令が出されていました。
一国一城令では、その名の通り『一人の大名につき、一つのお城しか持ってはならない』という内容が明記されています。
これも武家諸法度と同様に、大名が幕府に反旗を翻すこと力を奪う目的がありました。
家康は武家諸法度や一国一城令により、大名が幕府に反抗しようとする力を奪った
武家諸法度の効果
武家諸法度により、大名たちは幕府に反抗しようとする気力さえ失いました。
戦国時代では、将軍と大名の間にはもちろん上下関係がありましたが、より上の立場の者に反抗し戦う、下克上もしばしば見られました。
織田信長を討った明智光秀が良い例でしょう。
家康はこうした法令により、このような下克上を封じました。
実際に効果も見られ、長きに渡る江戸幕府の基礎となる法令となりました。
武家諸法度は下克上を防ぎ、300年続く江戸幕府の基礎となった
禁中並公家諸法度とは
武家諸法度が出されるのとほとんど同時に『禁中並公家諸法度』(きんちゅうならびにくげしょはっと)も出されました。
禁中並公家諸法度では、天皇や朝廷の行動に制限を設けました。
禁中並公家諸法度は、天皇に対してのルール
また、天皇には『禁裏御料』(きんりごりょう)という土地が与えられましたが、これも幕府に反抗する力が持てない程の小さな領地でした。
大名の統制を目的とした武家諸法度に対し、禁中並公家諸法度は天皇や朝廷を統制する目的で作られたのです。
この時代の以前までは、幕府と天皇が争いを繰り広げることも珍しくありませんでした。
そのため、家康は天皇が幕府に反抗する力を持たないようにこの法令を作ったのです。
禁中並公家諸法度により、天皇や朝廷の行動を事細かに制限した
禁中並公家諸法度の効果
まとめ
- 武家諸法度は大名に対してのルール
- 家康は武家諸法度や一国一城令により、大名が幕府に反抗しようとする力を奪った
- 武家諸法度は下克上を防ぎ、300年続く江戸幕府の基礎となった
- 禁中並公家諸法度は、天皇に対してのルール
- 禁中並公家諸法度により、天皇や朝廷の行動を事細かに制限した
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