【本能寺の変】本能寺の変はなぜ起こった?黒幕説も?

【本能寺の変】本能寺の変はなぜ起こった?黒幕説も?

こんにちは!

2020年NHK大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公でもある明智光秀

そんな明智光秀が起こした本能寺の変は日本の歴史上で最も大きい出来事の一つとして知られています。

明智光秀はなぜ本能寺の変を画策し、なぜ織田信長を倒したのでしょうか?

その理由は現在でもはっきりしておらず、歴史研究家や歴史ファンの間では議論が過熱しています。

そんな本能寺の変の数ある諸説の中でも有力な説をまとめてわかりやすく解説していきます!

明智光秀 首謀説

天下野望説

明智光秀・天下野望説は、明智光秀が天下統一を目論み、天下統一寸前に迫っていた織田信長を倒した、とする説です。

この説の根拠は、光秀が本能寺の変が発生する6日前に詠んだとされる以下の句によるものです。

『ときは今 あめが下しる 5月かな』

実はこの句からは隠された光秀の野望を読み取ることができるのです。

とき・・・土岐氏。明智光秀の出身の家。この句では光秀自身の事を指す。
あめが下しる・・・天→天下を指す。天下を取るという解釈。

このように解釈をすると、光秀が句を詠んだタイミングも相まって
『土岐氏(光秀のこと)が天下を取るのは5月である』
との意味合いを読み取ることができます。

この句が明智光秀の天下野望説に繋がるということです。

しかし、この説はと決めつけてしまうのはまだ早いです。

この句は、『惟任退治記』に記載されているのです。

『惟任退治記』は、本能寺の変の後に山崎の戦いで明智光秀を倒し、天下人となった豊臣秀吉が編纂させた書物です。

そのため、明智光秀を悪者とし、豊臣秀吉を正義とする語調で書かれているのです。

このことから、光秀が詠んだ句が実際とは異なるものに改編された可能性も高く、信憑性に欠けます。

光秀が詠んだ句に基づく天下野望説だが、その信憑性は低い

遺恨説

明智光秀・遺恨説は、横暴な織田信長に対し個人的な恨みを持った光秀が、その恨みを晴らすために本能寺の変を起こした、とする説。

織田信長は自由奔放な性格で、家臣たちを困らせることも多かったようです。

その中でも、明智光秀に対しては特に扱いが酷く、光秀は普段から鬱憤をため込んでいたとされています。

このことは『明智軍記』『常山紀談』などにも記されていますが、いずれも正確な記録ではなく、当時の複数の書物から信憑性の低さも指摘されています。

普段から信長に無碍な扱いを受けた光秀が、個人的な恨みを晴らそうと本能寺の変を起こしたとする遺恨説だが、書物の信憑性が低い

黒幕説

豊臣秀吉 黒幕説

この説は、明智光秀本人の判断ではなく、豊臣秀吉が裏で本能寺の変を首謀していた、というものです。

この説の根拠は、中国大返しが不自然であることや後に秀吉が天下を取っていることが挙げられます。

本能寺の変がおこったとき、秀吉は備中高松城を侵攻している最中でした(備中高松城の戦い)。

本能寺にて織田信長が明智光秀に襲撃された報告を受けた秀吉は、すぐさま本能寺へと向かいました。

秀吉軍は200キロの距離を10日間で歩き切る程のスピードで備中(現在の岡山県)から本能寺(現在の京都府)まで直行したのです。

秀吉のこの機敏な対応を中国大返しと呼んでいます。

この中国大返しがあまりにも早すぎるため、秀吉は事前に本能寺の変が起きる事を知っていたのではないか、ということからこの説が浮上しました。

さらに、本能寺の変の直後に秀吉光秀を倒し天下人になること、それにより全ての証拠の隠滅が可能であることもこの説を後押ししました。

しかし、この説が事実であったとしても、上記のように証拠は隠滅されているでしょうから、決定的な証拠が出てくることは考えづらいでしょう。

秀吉黒幕説は豊臣秀吉が明智光秀に指示を出し、本能寺にいる織田信長を襲撃させた、とする説

朝廷 黒幕説

朝廷の菊花紋

この説は朝廷、つまり天皇が本能寺の変の黒幕である、とする説です。

朝廷は、強大な力を持ちつつある織田信長天皇よりも力を持ってしまう事を恐れていました。

そのため、明智光秀に囁いて織田信長を倒させたという事です。

この説の根拠となるのは、光秀が朝廷のために働いていたという考えの下にあります。

そのため光秀勤王説とも呼ばれています。

しかし、実際のところは信長は朝廷を積極的に保護し、資金援助も行っていたようです。

朝廷が信長を脅威に感じることはありそうですが、資金援助などで積極的に歩み寄っていた信長を殺させるのは少し不自然な気もします。

朝廷黒幕説は、力を付ける信長を脅威に感じた朝廷が主導して信長を殺させたとする説

まとめ

いかがだったでしょうか?

諸説ありますが現在も明らかにされていない本能寺の変の真実。

実際には矛盾点が多い説もありますが、一つ一つの説を細かく推察していくのも歴史の楽しみ方の一つかもしれませんね。

  • 天下野望説は、光秀が信長を倒すことにより、天下統一を目論んだとする説
  • 遺恨説は、普段から信長に無碍な扱いを受けた光秀が、個人的な恨みを晴らそうと本能寺の変を起こしたとする説
  • 秀吉黒幕説は豊臣秀吉が明智光秀に指示を出し、本能寺にいる織田信長を襲撃させたとする説
  • 朝廷黒幕説は、力を付ける信長を脅威に感じた朝廷が主導して信長を殺させたとする説