【明智光秀】本能寺の変って何?時系列に沿ってわかりやすく解説!
こんにちは!
NHK大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公でもある明智光秀が起こした本能寺の変。
天下統一を目論む織田信長はこの本能寺の変によって討たれてしまいます。
本能寺の変は、歴史の授業でも大々的に取り扱い、誰もが一度は聞いたことのある大きな変の一つです。
そんな本能寺の変における明智光秀と織田信長の動きを中心に時系列に沿ってわかりやすく解説していきます!
備中高松城の戦い
天正10年、羽柴秀吉は織田信長の指示により、毛利氏が治める備中高松城(現在の岡山県)に攻め込みます。
清水宗治や毛利輝元の率いる毛利軍は備中高松白に籠城する作戦を取りますが、羽柴秀吉による水攻めによって備中高松城を完全に包囲しました。
毛利軍を追い詰めた秀吉は、城主の清水宗治の自刃による開城(城を明け渡すこと)を要求しました。
備中高松上を水攻めによって追い込んだ秀吉は開城を目前に控えていた
本能寺の変
時を同じくして、明智光秀は、信長の命を受け、備中高松城の戦いの援軍へと向かい出陣しました。
しかしその道中、光秀は信長が上洛(旅行のようなもの)している本能寺へと軍を方向転換させました。
明智光秀は自らが使える織田信長を倒そうと考えたのです。
この際の明智光秀による『敵は本能寺にあり』というセリフは現在でも有名ですが、これは『明智軍記』に記載された俗説であり、実際とは異なっていたようです。
『敵は本能寺にあり』という発言は実際はなされていなかった
実際には、明智光秀は13000の大軍勢に対し、織田信長を討つことを伝えていなかったようで、家臣の中には『徳川家康を討ち取りに行くのだ』と勘違いしていた者もいたほどでした。
しかし、光秀は有無を言わさず本能寺へと切り込みます。
この時の本能寺の信長勢はわずか50人ほどであったのに対し、明智軍は13000の軍勢でした。
明智軍は信長のいる本能寺に到着すると、本能寺を包囲し火を放ちました。
初めは外の騒ぎを聞き家臣同士の喧嘩かと思った織田信長でしたが、家臣から明智光秀による謀反だということを伝え聞くと、一言『是非に及ばず(仕方がない)』と口にしたと言われています。
この発言は、『頭が良く、能力の高い光秀の謀反であれば、逃げることは不可能であろう』という意味が込められていると考えられ、その後、槍で応戦した信長でしたが、すぐに御殿の奥の間で自刃したのでした。
本能寺の変にて織田信長、自刃
中国大返し
一方、備中高松城を包囲していた羽柴秀吉(豊臣秀吉)は本能寺の変の報告を受け、すぐに和議(停・終戦)を結び、清水宗治の自刃を見届けた後、京都の本能寺へと直行しました。
羽柴秀吉は備中高松城(現在の岡山県)から本能寺(現在の京都府)までのおよそ200キロの距離を、歩きで10日間という猛スピードで踏破しました。
秀吉軍は本能寺へと急行。10日間で200キロを踏破し、明智軍と衝突
秀吉、光秀の両軍は、京都・山崎という地で衝突し、戦となります。
この戦が『山崎の戦い』なのです。
戦は、約16000の軍勢の明智軍に対し、秀吉軍は約40000とされる大軍勢で猛攻し、短期間のうちに勝負が決しました。
山崎の戦いでは、秀吉軍の大軍勢に及ばず、明智光秀は敗死
明智光秀は短すぎる天下人となった
本能寺の変により、時の天下人である織田信長を討った明智光秀は天下人の名を手に入れる事となりました。
しかし、山崎の合戦により、敗死した光秀が『天下人』であった時間はあまりにも短く、その短さから『三日天下』と呼ばれるほどでした。
これも羽柴秀吉(豊臣秀吉)の機敏な中国大返しによるものですが、実際に光秀が天下をとった期間は11日間であったようです。
明智光秀の天下は11日間であった
それとは対照的に明智光秀を討った羽柴秀吉は一躍、天下統一へと近づく事となったのです。
謎に包まれた本能寺の変の動機
明智光秀が何故、本能寺の変を首謀したのかということは実は明らかになっていません。
信長を倒すことによって、光秀が天下統一するということは現実的には難しかったこともあり、現在でも歴史ファンの間では、本能寺の変を首謀したのは、光秀ではなく他の誰かではないか、とする説が囁かれています。
本能寺の変には黒幕が存在していた、という説もある
まとめ
- 備中高松上を水攻めによって追い込んだ秀吉は開城を目前に控えていた
- 『敵は本能寺にあり』という発言は実際はなされていなかった
- 本能寺の変にて織田信長、自刃
- 秀吉軍は本能寺へと急行。10日間で200キロを踏破し、明智軍と衝突
- 山崎の戦いでは、秀吉軍の大軍勢に及ばず、明智光秀は敗死
- 明智光秀の天下は11日間であった
- 本能寺の変には黒幕が存在していた、という説もある
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