【織田信長】楽市令とは?
こんにちは!
安土桃山時代に力を強め、天下統一に近づいた織田信長。
信長は、新しい物好きであったため、次々と新しい道具や政策を用いていました。
そんな信長が打ち出した数多くの政策の中でも、『楽市令』は有名です。
ここからは信長が打ち出した画期的な『楽市令』と『楽市・楽座』についてわかりやすく解説していきます!
楽市令とは?
戦国時代後期に施行された『楽市令』。
この時代での『市』は人が集まり、定期的にモノが売り買いされる場のこと。
そんな『市』を取り締まっていたのが『座』。同業者組合のような組織です。
『座』は貴族やお寺にお金を収める代わりに取り扱う商品を独占していました。
織田信長はそのような悪しき風習を改善するために、許可なく誰でもお店を出せるようにしたのです。
それが『楽市令』です。
信長は、楽市令によって物やお金の取引がより活発に行われることで、城下町の経済がより発展することができると考えたのでした。
楽市令は城下町の取引を自由にした
楽市令の効果
楽市令によって、誰もが自由に商売を行えるようになりました。
これにより、城下町は活気に溢れ、多くの人々が足を運ぶようになったのです。
また、城下町での経済が発展することは、税収にも好影響を及ぼしました。
こうして楽市令は城下町の発展と高い税収を同時にもたらしたのでした。
楽市令は経済を発展させると同時に信長への高い税収も実現した
楽市令の背景
信長の性格って?
尾張(おわり)の守護大名であった信長は、戦国時代の真っ只中にあって非常に優秀な武将でした。
信長が率いた戦は負け知らず。
今川義元を破った桶狭間の戦いを皮切りに次々と領地を拡大していきます。
その後も、比叡山を焼き討ちにしたり、長篠合戦では武田勝頼に大勝するなど、全国的に支配を強めていきました。
織田信長は戦上手
そんな信長は新しいもの好きで、固定概念に捉われない画期的な戦法や政策を多用しました。
長篠合戦では、ポルトガルから輸入されたばかりの鉄砲を大量に用意し、鉄砲隊の活躍によって武田軍に大勝を収めました。
そのほかにもポルトガルや西洋から輸入したマントや兜を好んで用いていたとも言われ、気に入ったものは、それまでの伝統や慣習にこだわらずに積極的に取り入れる性格であったとされています。
織田信長は合理主義で新しいもの好き
織田信長について詳しくはこちらの記事をご覧ください!
まとめ
- 織田信長は戦上手
- 織田信長は合理主義で新しいもの好き
- 楽市令は城下町の取引を自由にした
- 楽市令は経済を発展させると同時に信長への高い税収も実現した
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