鎌倉幕府の特徴って?
こんにちは!
日本で初めて誕生した幕府として知られる鎌倉幕府ですが、誰が治め、どのような特徴があったのでしょうか?
要点をまとめながら、わかりやすく解説していきます!
鎌倉幕府誕生の背景
平氏から源氏の時代へ
時は平安末期。
『源氏』と『平氏』は激しい覇権争いを繰り広げていました。
数多い源平の戦さの一つである『平治の乱』で大敗した源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)は伊豆(静岡県)に島流しにされていました。
しかし、平氏政権に不満を持った以仁王(もちひとおう)に呼び戻されることで頼朝は鎌倉に拠点を置き戦場へ復帰します。
頼朝が伊豆から『以仁王の令旨』によって挙兵
頼朝が政権を握る
頼朝は従兄弟である義仲や弟の義経らと協力し、平氏を京都から追い出します。
その後、頼朝は義経や義仲とうまくいかず、二人を殺害してしまうのです。
平氏や戦上手の義経や義仲を討ったことで征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府が誕生しました。
平氏を滅ぼし、征夷大将軍に任命された頼朝は鎌倉に日本初の幕府を成立させる
鎌倉幕府の特徴的な仕組み
『幕府』って何?
征夷大将軍が作った政権のことを『幕府』と呼んでいます。
そして、『幕府』は天皇と敵対しながら、民衆を治めるような位置関係にあります。
『幕府』とは、征夷大将軍が天皇の政治に対抗するために作った政権
守護・地頭
全国各地の治安を保つためには、自らの目だけでは追いつきませんよね。
そこで頼朝は、全国各地に『守護』『地頭』を設置し、民衆を治めさせたのです。
将軍の家臣である御家人の中でも有力御家人が任命されて国に一人ずつ置かれました。
それに対し、一般の御家人の中から任命される地頭は、荘園などで、土地の管理や年貢の徴収を行なっていました。
有力御家人から『守護』が、一般の御家人から『地頭』が任命され、全国の治安を維持した
御恩と奉公
日本史でよく聞く『御恩と奉公』の関係はこの時代に確立されたものです。
『御恩と奉公』はこの時代の将軍と御家人の関係を表しています。
しかし、将軍がただ御家人に命令をする一方的な関係ではありませんでした。
将軍からは活躍に応じた土地の支給が行われ(御恩)、御家人は幕府の動員命令などに従い、仕事をしていました(奉公)。
この関係が御家人に不要なストレスや不満を与えることなく両者の良好な関係を築いていったのです。
将軍からの『御恩」、御家人からの『奉公』で良好な関係が築かれた
まとめ
- 頼朝が伊豆から『以仁王の令旨』によって挙兵
- 平氏を滅ぼし、征夷大将軍に任命された頼朝は鎌倉に日本初の幕府を成立させる
- 『幕府』とは、征夷大将軍が天皇の政治に対抗するために作った政権
- 有力御家人から『守護』が、一般の御家人から『地頭』が任命され、全国の治安を維持した
- 将軍からの『御恩」、御家人からの『奉公』で良好な関係が築かれた