【坂本龍馬】寺田屋事件って何?坂本龍馬襲撃事件についてわかりやすく解説!
こんにちは!
2010年NHK大河ドラマ『龍馬伝』の主人公となった坂本龍馬。
福山雅治さん演じる坂本龍馬の生涯を描いた本作は多くの高評価を集めました。
本作でも重要なシーンとなった寺田屋事件。
龍馬が命を狙われるシーンは緊迫感のあるものでしたよね。
今回はその寺田屋事件についてわかりやすく解説していきます!
寺田屋事件
薩摩藩と長州藩を取りまとめ、薩長同盟を斡旋した坂本龍馬は伏見(現在の京都府伏見区)の旅館である寺田屋に宿泊していました。
この寺田屋は薩摩藩士が宿舎として利用していた旅館でしたが、土佐の出身である龍馬は自らを薩摩藩士と身分を偽ることでこの宿舎を利用していたのでした。
坂本龍馬は薩摩藩士と身分を詐称し、薩摩藩の宿舎である寺田屋で寝泊りしていた。
坂本龍馬襲撃事件
1866年3月、薩長同盟を斡旋した直後の坂本龍馬を、伏見奉行(ふしみぶぎょう)の捕り方が襲撃します。
深夜2時頃に伏見奉行の捕り方が寺田屋を取り囲みますが、入浴中であった龍馬の妻、お龍がこの事にいち早く気づき、裸のまま2階に上がり、龍馬に伝えました。
寺田屋の中まで踏み込まれた龍馬たちは「自分たちは薩摩藩士であるため、奉行の権限は及ばない」と主張しますが、すぐにバレてしまいます。
襲いかかる捕り方たちに対し、龍馬は高杉晋作から貰った拳銃で防戦しました。
この隙にお龍は置いてあった漬物槽をどかし、龍馬たちはここから脱出する事に成功しました。
龍馬たちは材木屋に逃げ込みましたが、すぐに薩摩藩邸からの救援がやってきて事なきを得たのでした。
寺田屋にて襲われた坂本龍馬は、妻の機転と薩摩藩の救援により九死に一生を得る
寺田屋事件のその後
その後、西郷隆盛の主導によって龍馬は薩摩(現在の鹿児島県)で湯治をしながらゆっくり過ごしました。
この際、薩摩へ妻であるお龍を連れて行ったことから、後に日本最初の新婚旅行であったと言われることとなりました。
西郷隆盛の勧めにより坂本龍馬は日本初の新婚旅行へ
湯治旅行を終えた龍馬は近江屋(おうみや)という旅館を京都での拠点として利用するようになりました。
寺田屋事件で襲撃され、九死に一生を得た龍馬でしたが、依然、命を狙われている状況に変わりはありませんでした。
この近江屋にて坂本龍馬が暗殺されてしまう事件が発生するのです。
新婚旅行を終えた龍馬は近江屋へと移る
現在の寺田屋
現在でも京都市伏見区には寺田屋という建物が存在しています。
この「寺田屋」では当時のものとされる弾痕や刀傷を見ることができます。
しかし、建物の登記と寺田屋事件の時間軸に疑問を持った専門家によって、実際の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失していた事が明らかになりました。
現在見る事ができる寺田屋は新たに建築されたものである事が分かったのです。
現在の寺田屋は新たに建てられたもので、当時の寺田屋は既に焼失している
しかし、復元された寺田屋も当時の歴史を感じる事ができるものとなっており、寺田屋事件についての説明も多くあります。
京都には寺田屋以外にも歴史的な建造物が多く残されています。是非一度訪れてみてはいかがでしょうか?
まとめ
- 坂本龍馬は薩摩藩士と身分を詐称し、薩摩藩の宿舎である寺田屋で寝泊りしていた。
- 寺田屋にて襲われた坂本龍馬は、妻の機転と薩摩藩の救援により九死に一生を得る
- 西郷隆盛の勧めにより坂本龍馬は日本初の新婚旅行へ
- 新婚旅行を終えた龍馬は近江屋へと移る
- 現在の寺田屋は新たに建てられたもので、当時の寺田屋は既に焼失している
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