【生涯年表】黒田官兵衛ってどんな人?年表で分かりやすく解説!

【生涯年表】黒田官兵衛ってどんな人?年表で分かりやすく解説!

こんにちは!

大河ドラマ等の影響もあり、知名度も上がってきている黒田官兵衛

名前は知っているが、どんな人物なのか分からないという人も多いと思います。

ここでは、黒田官兵衛がどんな武将だったのか、年表を使って詳しく解説していきます!

黒田官兵衛の生涯年表

西暦(年齢)出来事
1546年(1歳)潘磨国姫路城主・小寺職隆の嫡男万吉として誕生。
1567年(23歳)潘磨志方城主・櫛橋氏の娘「」を正室に迎える。
家督を継いで姫路城主となる。
1569年(25歳)姫路城に攻め入ってきた赤松政秀を撃退し、
官兵衛が有名になる。
1578年(34歳)荒木村重の説得に一人で乗り込むが、捕縛され約1年間幽閉される。
1580年(35歳)三木城陥落。
1万石を手に入れ、大名となる。
1582年(38歳)中国大返しを豊臣秀吉に勧める。
山崎の戦いで勝利。
1587年(43歳)秀吉から、豊前6郡を与えられ、馬ヶ岳城に入る。
1589年(45歳)家督を長政に譲る。
名を黒田如水と改める。
1600年(56歳)関ヶ原の戦いに乗じ、九州をほぼ平定する。
嫡男・長政は関ヶ原で活躍し、筑前52万石が与えられる。
1601年(57歳)福崎の地を福岡と改称し、福岡城の築城を始める。
1604年(59歳)4月、伏見藩邸にて死去。
崇福寺に葬られる。

黒田官兵衛は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。

知恵や腕はピカイチで、更に交渉力も持ち合わせた実力派でもある武将でした。

主に織田信長豊臣秀吉の下で働き、その力を発揮していました。

後には、世の中から「三英傑」と称される彼らの天下取りに、その頭脳を持って大きく貢献しました。

黒田官兵衛」の名が有名ですが、実際の名は「黒田孝高」もしくは「如水」とされていて、「官兵衛」という名はあくまでも通称のようです。

また、秀吉の参謀役として有名な軍師である「竹中半兵衛」と並び称される「二兵衛」の通称が有名です。

ここからは、そんな黒田官兵衛にまつわるエピソードを紹介していきます!

様々な戦いでの活躍

前述にもある通り、官兵衛は頭脳と実力を持ち合わせた武士だったため、様々な戦で活躍しました。

1582年、官兵衛豊臣秀吉と共に備中高松城の攻略をしていました。

そこへ、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたという知らせが届きます。

官兵衛秀吉に、毛利輝元と和睦して光秀を討つように告げ、中国大返しを成功させたのです。

また1583年には、秀吉柴田勝家の賤ヶ岳の戦いで大阪城を守り抜きました。

翌年の小牧長久手の戦いでは、官兵衛は大阪城で留守役をしていましたが、息子の黒田長政が岸和田の戦いで活躍しました。

官兵衛は織田信長や豊臣秀吉に慕われるほどの腕を持ち、多くの戦で活躍した。

秀吉は官兵衛を警戒していた

秀吉は、自分が死んだ後に天下をとる人物を予想していました。

その候補に挙げられそうなのは、徳川前田上杉毛利などですよね。

ところが秀吉は、黒田官兵衛の名を挙げたのでした。

官兵衛は野心家でもあると言われていたことから、秀吉はそう思ったのでしょう。

この話を聞いた官兵衛は、これを否定するために隠居することを決意しましたが、それは許されませんでした。

中国大返しや四国征伐、九州平定などの大きな功労の後でも、秀吉官兵衛への対応を冷たくしました。

一国を与えられる約束も守られず、都から遠く離れた豊前6郡の12万3000石を与えられたのみでした。

秀吉の警戒心について悟っていた官兵衛は、その冷遇に甘んじていたと言われています。

官兵衛は優秀が故に、秀吉からも恐れられ冷遇されていた

辞世の句

おもひおく言の葉なくて つひに行く 道はまよはじなるにまかせて

『この世に思い残すことはもう何もなく、今は迷うことなく成るままに旅立つだけ』という意味の句です。

官兵衛は息子である長政をはじめ、重臣を枕元に呼び、この辞世を口にしました。

「思い残すことなく、道を迷うことがない」という自負があったからこそ、自信を持って最後に自然の流れに身を任せることができたのでしょう。

何も思い残すことなく、人生を全うしこの世を去った

まとめ

いかがでしたか?

黒田官兵衛はとても優秀な武士でしたが、故に不遇されることも多かったことがわかります。

歴史人物の年表やエピソードから、その人柄が読み取れます。

更にここから深く調べてみると面白いかもしれませんね。

当ブログでは、他の歴史人物についてもまとめていますので、是非ご覧ください!

  • 官兵衛は織田信長や豊臣秀吉に慕われるほどの腕を持ち、多くの戦で活躍した
  • 官兵衛は優秀が故に、秀吉からも恐れられ冷遇されていた
  • 何も思い残すことなく、人生を全うしこの世を去った