【生涯年表】源義経の生涯を年表でわかりやすく解説!
こんにちは!
平安末期に活躍した武将、源義経(みなもとのよしつね)。
源平合戦では兄である源頼朝(みなもとのよりとも)と共に平氏と戦い、見事勝利しました。
勝利の立役者となった義経はどのような生涯を送ったのでしょうか。
ここからは義経の生涯を年表形式でわかりやすくまとめていきます!
源義経の生涯年表
西暦(年齢) | 出来事 |
---|---|
1159年(0歳) | 源義朝(みなもとのよしとも)のもとに生まれる。 幼名は『牛若丸』 |
1160年(1歳) | 平治の乱が起こる。父、義朝は敗死。 兄、頼朝は伊豆へ流罪となった。 |
1169年(11歳) | 鞍馬寺に入る。 |
1174年(16歳) | 鞍馬寺を出て、奥州平泉(岩手県)へと下る。 |
1180年(22歳) | 兄の頼朝が伊豆で出兵。義経も伊豆へ。 |
1184年(26歳) | 一ノ谷の戦いに勝利。 |
1185年(27歳) | 屋島の戦い、壇ノ浦の戦いに勝利。 後白河法皇から頼朝の許可なく褒美を貰う。 →頼朝が激怒し、義経追討の命を下す。 |
1187年(29歳) | 頼朝の追っ手から逃れるため、 奥州平泉(岩手県)へと逃げる。 |
1189年(31歳) | 頼朝が平泉の藤原泰衡へ義経を討つように指示。 これにより義経は自刃。 |
源義経は戦上手だった
年表を見てお分かりかと思いますが、義経は多くの戦に勝利しています。
長年にわたる源平合戦は最終的に源氏の勝利で終わるのですが、これも義経の活躍なくしては実現しなかったでしょう。
義経の天才的な戦法を表すこんな逸話があります。
一ノ谷の戦いの際、相手が山を背中に陣を構えていました。
通常、陣を構える際はこのように背中に山や川などの障害物のある位置に陣取り、背後から攻め込まれないようにするのです。
このまま相手の陣に正面から攻め込んだのでは返り討ちになるばかりと、悩む義経の視界を一頭の鹿が横切りました。
その鹿は相手の背後にそびえる崖を物ともせずに駆け下りて行ったのです。
これを目にした義経は
『鹿が崖を降りれるならば、馬も降りることができるはず』
と思い立ったのです。
こうして義経率いる源氏の軍勢は平氏の背後の崖を下って攻め込み、見事戦に勝利したのでした。
義経は野生の鹿を参考に崖を駆け下りる戦法で戦いに勝利
武蔵坊弁慶との関係
弁慶とは?
武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は義経と同じく平安時代末期に活躍した僧です。
源義経を慕い常に行動を共にしていたと言われています。
義経が藤原泰衡に追われ自害する際には、義経のいる建物の前に仁王立ちし、降り注ぐ矢を全身に受け、立ったまま絶命したという伝説も残っています。
弁慶は義経の部下として常に行動を共にしていた
義経と弁慶の出会い
弁慶はもともと比叡山の僧侶でしたが、粗暴な振る舞いにより寺を出て放浪していました。
その後、弁慶は放浪しながら街ゆく人の刀を奪って集めていました。
なんと集めた刀の本数は999本。
そこで出会ったのが義経でした。
橋の向こう側から笛を吹きながらやってくる義経を見た弁慶は千本目の刀を奪う相手にふさわしいと思い、勝負を仕掛けます。
しかし、義経は華麗に弁慶の刀をかわして見せました。
弁慶は義経に勝負を挑んだが、返り討ちに
1000本目の刀を手に入れることができなかった弁慶に対し、義経は『仲間にならないか?』と声をかけます。
自分より強い義経に衝撃を受けた弁慶はその瞬間から義経に生涯を捧ぐ決意をしたのでした。
弁慶は自分より強い義経に忠誠を誓った
これ以降、弁慶は義経と行動を共にするようになっていったのでした。
義経の最期
上記のように、戦上手で知られる義経は多くの戦で大活躍。
そんな義経の活躍を酷く気に入った後白河法皇(ごしらかわほうおう)は義経に位と褒美を与えました。
そして義経はその位と褒美を受け取ってしまったのです。
このことに兄である源頼朝は激怒しました。
朝廷の人間(後白河法皇)から位を授かるということは朝廷への忠誠を誓うということにもなるからです。
源頼朝が起こした鎌倉幕府は朝廷と対立している関係性にありますから、頼朝は弟に裏切られたように感じてしまったのでしょう。
義経が後白河法皇から勝手に位をもらったことに頼朝が激怒
源頼朝は弟の義経を討つよう、全国に命を出しました。
これを受け、義経は幼少期を過ごした奥州平泉(現在の岩手県)へと避難。
奥州平泉を治めていた藤原秀衡にかくまってもらっていました。
全国に義経追討の命が出たことを受け、義経は追手を逃れるために奥州平泉へ
しかし、程なくして藤原秀衡が死去。
その後を継いだ藤原泰衡に裏切られる形で義経は攻撃を受けてしまいます。
弁慶の決死の仁王立ちも功奏せず、源義経は31歳の若さで自害してしまったのでした。
1189年、藤原泰衡の攻撃を受け、源義経は自害
まとめ
いかがでしたでしょうか?
若い頃から才能を隠すことなく大活躍した義経でしたが、自らの兄に追われその生涯を終えてしまったのですね。
もし、義経が生きていたら時代はどのように変わっていたのでしょうか?
そんなことを想像してみるとまた違った角度から歴史の面白さに触れることができるかもしれませんね。
- 義経は野生の鹿を参考に崖を駆け下りる戦法で戦いに勝利
- 弁慶は義経の部下として常に行動を共にしていた
- 弁慶は義経に勝負を挑んだが、返り討ちに
- 弁慶は自分より強い義経に忠誠を誓った
- 義経が後白河法皇から勝手に位をもらったことに頼朝が激怒
- 全国に義経追討の命が出たことを受け、義経は追手を逃れるために奥州平泉へ
- 1189年、藤原泰衡の攻撃を受け、源義経は自害
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